風俗画の時代に就いて
私は以前、「明治の末頃までは、頼まれればその当時の風俗を描きもした。が、概して言えば私の描いたものの内には、現代風俗のものより時代がかったものの方が多いと言えるでしょう。その時代も、絵を描き出してからのことを思えば、ほとんどあらゆる時代の風俗を描いているような気がする。が、古い処と言えば、第九回の文展に出した「花がたみ」は謡曲|花筐《はながたみ》に取材したもので、時代は継体天皇の御宇《ぎょう》と記憶しますから、随分古い方ではある。大正六、七年頃、京都の林新助氏の何かの記念展覧会に描いた清少納言の図は、確かに三尺か三尺五寸くらいの竪幅だったが、その以前明治二十七、八年の博覧会かにも清少納言を描いた記憶がある。その頃からのことを思い出してみると、新田義貞や、平重衡や、源頼政やの古事を題材としたことなどもあり、大石義雄とお軽の別れの場面を描いたり、朝顔日記の深雪を描いたり、随分いろんな時代のいろんな風俗を描いたが、ずっと顧ると徳川時代の風俗を私は一番たんと描いているように思います。
徳川時代も中期以後末期に掛けての風俗が、何となく私を牽《ひ》きつける力が多いように思います。特別にその時代の風俗ばかり描こうと思い立ったりしたわけでなんかないのですが、娘にしても如何にもしおらしい娘らしさがあるような気がするし、それに櫛だとか簪だとか笄《こうがい》だとか、そういった髪飾りやその他の装身具にも、その頃の物には変化に富んだ発達が見られるように思われ、兎に角何か描こうと思う時一番興味深く思い浮かべられるのは徳川末期の風俗です。
今でも私は現代風俗を取扱うまいと思っているわけではない。いつ何時描く気になるかも知れない。しかし帝展あたりに出品されている現代風俗の絵に見るような、あんな写実一点張りという見方描き方でなしに、描くなら古典味を加味したものでやってみたいような気がします。だから、帝展あたりの出品を見ると皆、ああでもないこうでもない、という風にばかり感じて、どうもしっくりこれだという気になれる作品に出会わないような気がする。何故現代風俗そのままの写実的な描き方が、私にしっくりした感じを起こさせてくれないのかしら、と思って見たりもするが、まあ強いて言えば、目まぐるしいほど後から後から移り変って行く流行の激変に、理想的な纒まりがないとでもいうよう
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