すとき》の下着の模様をほのかに透かす、黒地の薄物を着た女、まあいわば先年帝展に描いた後ろ向き立姿の婦人が、やや斜めの横顔を見せたとでもいう見当、それが裳長く床几に掛けた足許近く、二枝三枝萩の小枝が風情を添えているというような図です。片双の娘二人の帯や衣裳の色気が相当華やいでいるのと対照させて、新規の方は努めて地味な色合を選んで採り合わせ、萩の葉も殊更に写生の色を避けていっさい緑青気の生々しいものを使わず、葉の数なども実際のものはもっともっと混み合って繁っているのを、故意《わざ》と単調に幽寂な味を見せようとしたものでした。
十月から着手してほぼ仕上ったのが、十二月にかかってからであった。ところが、十一月の末頃までには戻って来るということであった巴里《パリー》への出品が、なかなか来ない。聞けば巴里を終った後で、白耳義《ベルギー》とやらでも展覧会を開いたのだとか。兎もあれ一双揃わねば意味をなさぬ、その的《あて》にしていた片双が、電報で外国《あちら》に問い合せたりして貰った結果どうやら間にあいかねる様子の知れたのが、もう十二月になってからのことです。こんなわけでして、思いがけなく、片双の娘二人の方も、新しく描かねばならないことになりました。これは私としましては随分予定狂いの大事《おおごと》ではありますが、といって何とも方法のない勢いとなって来ているので、到頭意を決してあとの片双の揮毫に着手することにした。幸い下図は以前のものが残してあったので、それを本紙に写し掛けたのが十二月半ば頃ででもあったでしょうか。
図組みはそっくり以前のままを使い、色彩も向って左方に屈んでいる娘の着物の色を、薄紅系統に変えて、右方に立った娘の薄紫地のものと対象させることにしたくらいより変更しなかった。もっとも屈んだ女の帯の濃緑地の上に、金糸の刺繍を見せた泥描きの模様を、新規のものはお目出度い鳳凰模様としたり、あしらいに飛ばしてあった春を思わせる胡蝶の数の、四匹を三匹にしたりした程度のいささかの変りはある。もっと早く仕上げる筈が、だんだんと日が迫って来るので最後に近い何日かは、毎日夜中の二時三時頃まで筆を執りました。
こうしてやっと最後の筆を擱《お》いたのが、一月二十六日の午前二時頃でした。前後四ヵ月の間、ズッとかかり通したわけですが、近頃身を入れた制作であったと言えば言える気がします。
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