たくないと思っている。
大正三年ごろ京都市中京区間町竹屋町上ルの私の今の住居、画室を建ててから思えばもう二十幾年、当時まだ息子の松篁は十三歳であった。
画室は、母屋とは廊下続きの離れの形式になっており、南向きの二階建てで、東、西、南の三方は明り障子とガラス障子の二枚が嵌まっていて、北面だけが壁で仕切られています。畳数は十四あります。
明り障子とガラス障子の二枚戸にしたのは陽光の明暗強弱を適度に調節するためで、それらの三方の外には一尺幅ほどの小さい外廊が廻らしてあり、それにかたちばかりの欄干も取りつけられてあります。そこにはさまざまな植木鉢など並べて置くのに都合がよろしい。
画室の四囲には掘り池を廻らし、金魚だとか鮒、鯉の類の魚を数多く放ってあり、そのもうひとつ外側を樫の木、藤の棚、ゆすら梅、山吹きなどが囲んでいて、その間から母屋の中庭にかけては小禽たちの鳥舎、兎、鶏からさては狐小舎までが散在していて、私や松篁にとっては写生、勉強のよい対象になってくれ、また孫たちにはこよなき遊び相手になってくれています。
朝、樹立ちを洩れて陽光が惜し気もなく画室のなかへ流れこむ。どこか
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