いるのを観ているうちに、
(事によると、彼らだけに通じる将棋の約束があるのではなかろうか?)
 とさえ思われるのであった。どうも、そのような気がしてならない。
 とすると、狂人の棋法のほうがすぐれているのではなかろうか? と思えるのであった。定まった約束の下に駒を進めるよりも、自由奔放に、自分の思ったところへ駒を飛ばし、王が取られようが、味方の軍が全滅しようが、何ら頓着なしに駒を戦わし、一局に朝から晩まで費やし、自由の作戦で敵の駒を取ったり取り返されたりする……彼らにとっては、これほど面白い競技はないのに違いない。
 もし、将棋に「駒の道」という約束がなかったら、彼らは決して狂人ではなく、普通の人間である訳である。
 彼らは駒をパチパチあらぬ処へ打ちながら、他の狂人を眺めて、次のようなことを話しあっている。
「あいつらは気違いだ、あんな奴らを相手にしてはいかん」
 狂人は、決して自分を狂人だとは思わないそうである。そうして、自分以外の者はすべて狂人に見えるということである。

 狂人の顔は能面に近い。
 狂人は表情にとぼしい故ででもあろうか、その顔は能面を見ている感じである。
 嬉しい
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