いるのを観ているうちに、
(事によると、彼らだけに通じる将棋の約束があるのではなかろうか?)
とさえ思われるのであった。どうも、そのような気がしてならない。
とすると、狂人の棋法のほうがすぐれているのではなかろうか? と思えるのであった。定まった約束の下に駒を進めるよりも、自由奔放に、自分の思ったところへ駒を飛ばし、王が取られようが、味方の軍が全滅しようが、何ら頓着なしに駒を戦わし、一局に朝から晩まで費やし、自由の作戦で敵の駒を取ったり取り返されたりする……彼らにとっては、これほど面白い競技はないのに違いない。
もし、将棋に「駒の道」という約束がなかったら、彼らは決して狂人ではなく、普通の人間である訳である。
彼らは駒をパチパチあらぬ処へ打ちながら、他の狂人を眺めて、次のようなことを話しあっている。
「あいつらは気違いだ、あんな奴らを相手にしてはいかん」
狂人は、決して自分を狂人だとは思わないそうである。そうして、自分以外の者はすべて狂人に見えるということである。
狂人の顔は能面に近い。
狂人は表情にとぼしい故ででもあろうか、その顔は能面を見ている感じである。
嬉しい
前へ
次へ
全8ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング