君が紅葉の行幸に出御あらせられ、このところをお通りなさるときいて道の辺にお待ち申し上げた。
その姿を君もあわれに思し召されて、越前国を思いいだされ、その姿にて面白う狂うて見せよと宣旨あそばされたので、照日前は君の御前で狂人の舞いを御覧に入れた。その舞いによって照日前は再び召し使われることになった。
と、いうのが、謡曲「花筐」の筋で、照日前の能衣裳の美しさにともない、狂人の表情を示す能面の凄美さは、何にたとえんものがないほど、息づまる雰囲気をそこに拡げるのである。
わたくしは、この照日前の舞姿――狂人の狂う姿を描こうと思い立ったのであるが、ここに困ったことには、わたくしに狂人に関する知識のないことであった。
「お夏狂乱」などで、女人の狂い姿を観てはいるが、お夏の狂乱は「情炎」の狂い姿であって、この花筐の中の狂い姿のように、「優雅典雅の狂い」というものは感じない。
同じ狂いの舞台姿でも、お夏と照日前の狂いにはかなりのへだたりがある。
もっとも、芝居の舞台と能狂言の舞台という、異なった性質の舞台――という相違から来ているのであるが、能狂言の照日前の狂い姿は、お夏のそれよりも、描く
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