しいと思ったこともありませんでした。私にとっては母はいいもの、一番大切なものでした。
母は決して甘やかしてはくれませんでしたが、子煩悩でした。旅なぞに出ると、両方で案じ合って、私は母が待っている、一日も早く家へ帰りたいと思い思いしたものです。
こんなことを思い出します。夕方から縄手の三条の親類へ母が行きましたが、夜になっても帰らない、雪もチラチラしてくる。私は心配になって「迎えに行こう」と言うと、姉は、「もう帰らはるやろ、行った先は分っているのやさかい、傘も貸してくれはるやろ」と言うのですが、私はどうしても迎えに行きたくなって、一人で行きました。
丁度、母は腰を上げて帰ろうとしていたところでしたが、私を見て「おや」と驚いたらしいのですが、「よう来た」と大へん喜んでくれ、「おう、おう、さぞ寒かったやろ」とかじかんだ私の手を母の両の掌の中にはさんで、もんでくれました。
母は昭和九年、八十六歳で亡くなりました。が、七十九歳で脳溢血で倒れるまで、実に壮健で、外出すると、若い者の先にたってずんずん歩くという風でした。松篁の嫁を迎えるのも見、曾孫《ひまご》三人の遊ぶのを眺めて、幸せな晩年を
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