めるつもりになってごらん。今年は私の絵がないのでさぞお店がさびしかろう。来年は、私の絵でうんと賑わしてやろうと、まあこんな風に考えてごらん。それ位の自信とうぬぼれがなくてはあかん」その母の一言で、私の粘っていた気持は、すぽっととけてしまい、それで、思い切って文展出品をやめ二ヶ月後にあったイタリアへの出品に心を定め、落ちついて構想をまとめ〈人形遣い〉を描いて入選しました。母は竹を割ったような性格で、何度か私が思いなやんだり、迷ったような時に、活路を開いてくれました。
 母はそんなたちですから、しゃっきりしすぎていたのでしょう。誰にも遠慮なくずばずばと思うことを言いました。昔、辰巳という国民新聞の記者が、よく家へ見えましたが、後に「あなたのお母さんには、よく叱られた」と言われたことがあります。

     絵心のあった血統

 私の絵の素質がどこからきたのかと言われれば、母方からと言えましょう。母も絵心のある人でした。母方の祖父も絵が好きでした。四条通りには、袋物や古本の夜店がよう出ました。母はそんなところで、古い絵の本を買うてそれを写しておりました。字はとても達筆でした。茶の壺に貼る茶名
前へ 次へ
全9ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング