いって上等のお茶を入れた茶壺がたくさんならんでいました。
私は子供のころから――さよう、五つの頃から絵草紙をみたり、絵をおもちゃ描きしたりすることが好きで、店先のお客さんの話を聞きながら、帳場の机に坐りこんで、硯箱の筆をとり出しては、母のくれた半紙に絵ばかりかきつけていました。
いつ来ても絵ばかりかいているので、お客さんはよく笑いながら、母に、
「あんさんとこのつうさん[#「つうさん」に傍点]は、よほど絵がすきとみえて、いつでも絵をかいてはるな」
と、言っていたのを憶えている。
店へ来る画家の人で、桜花の研究家として名をとっていた桜戸玉緒という方が、極彩色の桜の絵のお手本を数枚下さって、うまくかけよ、と言ったり、南画を数枚下さって、これを見てかくとええ、などとはげまして下さった。
また甲斐虎山翁が幼い私のためにわざわざ刻印を彫って下さったこともあります。その印は今でも大事に遺してあります。
絵草紙屋
私は絵の中でも人物画が好きで、小さいころから人物ばかり描いていました。
それで同じ町内に吉野屋勘兵衛――通称よしかんという絵草紙屋がありましたので、私は
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