供用の刀や槍がどんどん売れたそうで、これは国表へのお土産になったのであります。

        葉茶屋

 それも間もなくのことで、御一新になり、天子様が御所から東京の宮城へお移りになられたので、京都は火の消えたようにさびれてしまい、廃刀令も出たりしたので、刀剣商をたたんでしばらくしもたや[#「しもたや」に傍点]でくらしていましたが、母の仲子が養子を迎えたので、それを機会に葉茶屋をひらきました。養子の太兵衛という方はながらくお茶の商売屋に奉公していたので、その経験を生かそうとしたわけであります。
 葉茶屋の家号を「ちきり屋」と名づけたのは、祖父がつとめていた呉服屋の家号をもらってつけたのかもしれません。
 もっとも葉茶屋に「ちきり屋」というのはむかしからよくある名だそうですから、べつだん呉服商の「ちきり屋」にチナ[#「チナ」に傍点]まなくともつけられたのではありましょうが……

 今でも寺町の一保堂あたりにいぜんの面影が残っていますが、私の家の店は表があげ店になっていて、夜になるとたたんで、朝になると下へおろし、その上に渋紙を張った茶櫃を五つ六つ並べておきます。
 店の奥には棚ものと
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