それが夢であるのか、現《うつつ》であるのか別《わか》ちのつかない場面に魂を彷彿とさせます。

 沈麗《ちんれい》高古な衣裳のうごき、ゆるやかな線の姿態の動き、こんな世界が、ほんとうに昔のある場面を彩どったであろうように、静寂な感覚の上に顕現してまいります。この微妙な感覚は、口舌で説きえるほど浅いものではありません。

     ○

 面《おもて》は喜怒哀楽を越えた無表情なものですが、それがもし名匠の手に成ったものであり、それを着けている人が名人であったら、面は立派に喜怒哀楽の情を表わします。わたくしは曽て金剛巌師の“草紙洗”を見まして、ふかくその至妙の芸術に感動いたしたものですから、こんど、それを描いてみたのでした。

 小町の“草紙洗”というのは、ご存じのとおり、宮中の歌合せに、大伴黒主《おおとものくろぬし》が、とうてい小町には敵わないと思ったものですから、腹黒の黒主が、小町の歌が万葉集のを剽窃《ひょうせつ》したものだと称して、かねて歌集の中へ小町の歌を書きこんでおき、証拠はこの通りといったので、無実のぬれ衣を被《き》た小町は、その歌集を洗って、新たに書きこんだ歌を洗いおとし黒主の
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