めんぼう》を能楽の面に型どっているところに、十分能楽味を保たしたわたくしの心持が表われているつもりです。この能楽に取材して、それを普通の人物に扱ったという点に、わたくしのある主張やら好みやらが含まれているわけです。

     ○

 わたくしはこの前の文展に、やはり能楽に関した“序《じょ》の舞《まい》”というのを出品いたしましたが、あまり能楽がつづきますので、どうかと思う鑑賞家もいられるかと思いますが、そこがわたくしの能楽道楽なところでこういうものなら幾らでも描いてみたい希望をもっています。

 一たい能楽というものは、全くの別天地です。殊にごみごみした現代などでは、劃然と飛びはなれた夢幻の境地であり、また現実の境地でもあります。騒音雑然、人事百端とも申すべき俗世界の世の中から、足一たびこの能楽の境域にはいりますと、そこには幽雅な楽器が、わたくしたちの耳塵《じじん》を払って鳴り響き、典麗高華な色彩や姿態が、鷹揚に微妙に動作いたします。それを見聴きしていますと、現《うつ》つ世には見も及ばず聴きもなれざる遠い昔の歴史の世界――全く恍惚《こうこつ》の境に引きいれられまして、わたくしどもは、
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング