大臣などは、この六百人ばかりを相手にわい/\騒いで居るではないか。この弱虫のおれでさえ、昔は三百諸侯を相手に、角力を取つたこともある位だのにナ。
政治をするには、学問や智識は、二番めで、至誠奉公の精神が、一番肝腎だ。と云ふことは、屡※[#二の字点、1−2−22]話す通りであるが、旧幕時代でも、田沼といふ人は、世間では彼是いふけれども、矢張り人物サ。兎に角政治の方針が一定して居つたよ。この時分について、面白い話があるが、この頃、聖堂がひどく壊れて居たから、林大学頭から修理の事を申し出たが、その書面の中に、「文宣公の廟云々」といふことがあつた。すると右筆等は集まつて、文宣公とは、どんな神様であらうかと色々評議をしたけれども、時の智者を集めた右筆仲間で、文宣公を知つて居るものがなかつた。そこで、文宣公とは何処の神だ、と附箋をして書面を返却した。大学頭は直ぐに文宣公とは、唐土の仲尼の事だといつてやつたけれども、それでもまだ分らない。そこで大学頭もたまらず、仲尼とは、子曰はくの孔夫子の事だといつた。それで右筆もやうやく合点が行たといふことだ。
この話は旧平戸藩で明君と聞えた静山公が、儒者を集
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