の腕に死んでゆくかも知れないという心配よりも、譫語《うわごと》の中で両人《ふたり》の秘密をいい出しはせぬかということが、むしょうに恐ろしくなって来ました。
 やがて、彼女はほんとうに危っかしい譫語《うわごと》をはじめました。私ははらはらして、
『院長、麻酔が十分でないようです』
『何かしゃべったって……構わんじゃないか……もう暴れアしないから大丈夫だよ』
 そのとき、女ははっきりと声を張りあげて、
『わたし平気よ……貴方がついていて……眠らせて下さるんですもの……』
 と一語一語を明瞭にいってのけたのです。私は更にクロロフォムを四滴、五滴とつづけざまにマスクへ垂らして、それを女の顔へひしと押し当てました。彼女のしどろもどろな声が、私の手でしっかと抑えつけている布《きれ》へ打《ぶっ》つかって来ます。
『わたし眠るのよ……あら、鐘が聞えるわ……今に癒《なお》ったら、また両人《ふたり》で、散歩をしましょうね……』
 私はもう夢中でした。隣室で、多分戸口に耳を押しつけていた彼女の良人《おっと》がそれを聞いただろうし、他の人々も感づいたにちがいないと思いました。彼女は不断ごく慎ましくて、幸いに只
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