じっと見つめられながら麻酔《ねむり》に陥《お》ちてゆくなんて、どんなにいい気持でしょう。それから、意識にかえるときの嬉しい心持を思っても御覧なさい。『覚醒』の嬉しさをね……」
「ところが麻酔の醒め際なんか、そんな詩的なものじゃありません」ドクトルは笑いながら、「麻酔からの醒め際は厭な気持のするもので、そのときの患者の顔といったら、見られたもんじゃありません。どんな美人だって恋人から愛想をつかされるにきまっています」
 といったが、暫く押黙ったあとでつけ加えた。
「そればかりでなく、迂闊に恋人なんかの手にかかると、頗《すこぶ》る危険なのは、覚醒しないでそれっきりになることがあります」
 これには皆が反対説を唱えだしたので、ドクトルも後へ退《ひ》けなくなってしまった。
「そんなら、私の説を証拠立てるために、皆さんにごく旧いお話を一つお聴きに入れよう。実は、私がその悲劇の主人公なんですがね、今はお話したって誰に迷惑のかかる気づかいもありません。というのは、関係者がみな死んでしもうて、生き残っているのは私独りなのです。但し関係者の姓名《なまえ》は秘しておきますから、皆さんが墓場をお探しになって
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