れたりするのを見ると、まるで自分の身体を切りさいなまれているような気がするのです。私は機械的に手をのべて女の顔に触ってみました。と、彼女は突然、本能的に防禦でもするように脚を折りまげて、うーんと一つ呻きました。
院長は立ちすくんで、
『おい、麻酔が十分でないよ』
といいます。私は大急ぎでマスクへまた数滴のクロロフォムを垂らしました。
院長はもう一度患者の上に屈みました。が、彼女は又もや呻いて、今度は何かわけのわからぬことを口走りました。
私は早くこの手術を終らせてしまいたいと思って、どんなにやきもきしたことでしょう。一刻も早く覚醒する彼女を見たい、恐ろしい夢魔を追い払ってしまいたいと、そればっかり念じていました。彼女はもう身動きはしないがやはり呻いて、何かぶつぶついっていた、と思うと突然に男の名――しかも『ジャン』という私の名前を判然《はっきり》呼びかけたのです。
私はぎょっとしました。しかし彼女は夢でも見ているらしく、つづいてこんなことをいいました。
『心配しないで、ね……わたし平気よ……』
サア今度は、此方《こっち》が平気でいられない。
彼女が覚醒しないで、そのまま私の腕に死んでゆくかも知れないという心配よりも、譫語《うわごと》の中で両人《ふたり》の秘密をいい出しはせぬかということが、むしょうに恐ろしくなって来ました。
やがて、彼女はほんとうに危っかしい譫語《うわごと》をはじめました。私ははらはらして、
『院長、麻酔が十分でないようです』
『何かしゃべったって……構わんじゃないか……もう暴れアしないから大丈夫だよ』
そのとき、女ははっきりと声を張りあげて、
『わたし平気よ……貴方がついていて……眠らせて下さるんですもの……』
と一語一語を明瞭にいってのけたのです。私は更にクロロフォムを四滴、五滴とつづけざまにマスクへ垂らして、それを女の顔へひしと押し当てました。彼女のしどろもどろな声が、私の手でしっかと抑えつけている布《きれ》へ打《ぶっ》つかって来ます。
『わたし眠るのよ……あら、鐘が聞えるわ……今に癒《なお》ったら、また両人《ふたり》で、散歩をしましょうね……』
私はもう夢中でした。隣室で、多分戸口に耳を押しつけていた彼女の良人《おっと》がそれを聞いただろうし、他の人々も感づいたにちがいないと思いました。彼女は不断ごく慎ましくて、幸いに只
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