て、こちらは、いやな気がするだけだ。なんにも要らない。はい、と素直な返事だけでも、してお呉れ。すみません、と軽い口調で一言そっと、おわびをなさい。君は、無智だ。歴史を知らぬ。芸術の花うかびたる小川の流れの起伏を知らない。陋屋《ろうおく》の半坪の台所で、ちくわの夕食に馴れたる盲目の鼠だ。君には、ひとりの良人を愛することさえできなかった。かつて君には、一葉の恋文さえ書けなかった。恥じるがいい。女体の不言実行の愛とは、何を意味するか。ああ、君のぼろを見とどけてしまった私の眼を、私自身でくじり取ろうとした痛苦の夜々を、知っているか。
 人には、それぞれ天職というものが与えられています。君は、私を嘘つきだと言った。もっと、はっきり言ってごらん。君こそ私をあざむいている。私は、いったい、どんな嘘をついたというのだ。そうして、もっと重大なことには、その具体的の結果が、どうなったか。記録的にお知らせ願いたいのだ。
 人を、いのちも心も君に一任したひとりの人間を、あざむき、脳病院にぶちこみ、しかも完全に十日間、一葉の消息だに無く、一輪の花、一個の梨《なし》の投入をさえ試みない。君は、いったい、誰の嫁さん
前へ 次へ
全27ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング