をさましまして、おしっこ、と私は申しましたのでございます。婆様の御返事がございませんでしたので、寝ぼけながらあたりを見廻しましたけれど、婆様はいらっしゃらなかったのでございます。心細く感じながらも、ひとりでそっと床から脱け出しまして、てらてら黒光りのする欅《けやき》普請の長い廊下をこわごわお厠《かわや》のほうへ、足の裏だけは、いやに冷や冷やして居りましたけれど、なにさま眠くって、まるで深い霧のなかをゆらりゆらり泳いでいるような気持ち、そのときです。幽霊を見たのでございます。長い長い廊下の片隅に、白くしょんぼり蹲《うず》くまって、かなり遠くから見たのでございますから、ふいるむのように小さく、けれども確かに、確かに、姉様と今晩の御婿様とがお寝になって居られるお部屋を覗《のぞ》いているのでございます。幽霊、いいえ、夢ではございませぬ。
芸術の美は所詮《しょせん》、市民への奉仕の美である。
花きちがいの大工がいる。邪魔だ。
それから、まち子は眼を伏せてこんなことを囁《ささや》いた。
「あの花の名を知っている? 指をふれればぱちんとわれて、きたない汁をはじきだし、みるみる指を腐らせる
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