《かいぶ》しは焚《た》かぬもの。不憫《ふびん》の故にな」
 ああ、一言一句そのまんま私は記憶して居ります。婆様は寝ながら滅入《めい》るような口調でそう語られ、そうそう、婆様は私を抱いてお寝になられるときには、きまって私の両足を婆様のお脚のあいだに挟んで、温めて下さったものでございます。或る寒い晩なぞ、婆様は私の寝巻をみんなお剥《は》ぎとりになっておしまいになり、婆様御自身も輝くほどお綺麗な御素肌をおむきだし下さって、私を抱いてお寝になりお温めなされてくれたこともございました。それほど婆様は私を大切にしていらっしゃったのでございます。
「なんの。哀蚊はわしじゃがな。はかない……」
 仰言りながら私の顔をつくづくと見まもりましたけれど、あんなにお美しい御めめもないものでございます。母屋《おもや》の御祝言の騒ぎも、もうひっそり静かになっていたようでございましたし、なんでも真夜中ちかくでございましたでしょう。秋風がさらさらと雨戸を撫《な》でて、軒の風鈴がその度毎に弱弱しく鳴って居りましたのも幽《かす》かに思いだすことができるのでございます。ええ、幽霊を見たのはその夜のことでございます。ふっと眼
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