かった。「汲《く》み取り便所は如何《いか》に改善すべきか?」という書物を買ってきて本気に研究したこともあった。彼はその当時、従来の人糞《じんぷん》の処置には可成《かなり》まいっていた。
 新宿の歩道の上で、こぶしほどの石塊《いしころ》がのろのろ這《は》って歩いているのを見たのだ。石が這って歩いているな。ただそう思うていた。しかし、その石塊《いしころ》は彼のまえを歩いている薄汚い子供が、糸で結んで引摺《ひきず》っているのだということが直ぐに判った。
 子供に欺かれたのが淋しいのではない。そんな天変地異をも平気で受け入れ得た彼自身の自棄《やけ》が淋しかったのだ。

 そんなら自分は、一生涯こんな憂鬱と戦い、そうして死んで行くということに成るんだな、と思えばおのが身がいじらしくもあった。青い稲田が一時にぽっと霞《かす》んだ。泣いたのだ。彼は狼狽《うろた》えだした。こんな安価な殉情的な事柄に涕《なみだ》を流したのが少し恥かしかったのだ。
 電車から降りるとき兄は笑うた。
「莫迦《ばか》にしょげてるな。おい、元気を出せよ」
 そうして竜の小さな肩を扇子でポンと叩いた。夕闇のなかでその扇子が恐ろし
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