さんは、バスに乗った。令嬢は、窓のそとで、ひらひらと国旗を振った。
「おじさん、しょげちゃ駄目よ。誰でも、みんな行くんだわ。」
バスは出発した。佐野君は、なぜだか泣きたくなった。
いいひとだ、あの令嬢は、いいひとだ、結婚したいと、佐野君は、まじめな顔で言うのだが、私は閉口した。もう私には、わかっているのだ。
「馬鹿だね、君は。なんて馬鹿なんだろう。そのひとは、宿屋の令嬢なんかじゃないよ。考えてごらん。そのひとは六月一日に、朝から大威張りで散歩して、釣をしたりして遊んでいたようだが、他の日は、遊べないのだ。どこにも姿を見せなかったろう? その筈だ。毎月、一日《ついたち》だけ休みなんだ。わかるかね。」
「そうかあ。カフェの女給か。」
「そうだといいんだけど、どうも、そうでもないようだ。おじいさんが君に、てれていたろう? 泊った事を、てれていたろう?」
「わあっ! そうかあ。なあんだ。」佐野君は、こぶしをかためて、テーブルをどんとたたいた。もうこうなれば、小説家になるより他は無い、といよいよ覚悟のほどを固くした様子であった。
令嬢。よっぽど、いい家庭のお嬢さんよりも、その、鮎の娘さんの
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