濁ったのかしら。」令嬢は笑わずに、低く呟いた。
 じいさんは、幽《かす》かに笑って、歩いている。
「どうして旗を持っているのです。」佐野君は話題の転換をこころみた。
「出征したのよ。」
「誰が?」
「わしの甥《おい》ですよ。」じいさんが答えた。「きのう出発しました。わしは、飲みすぎて、ここへ泊ってしまいました。」まぶしそうな表情であった。
「それは、おめでとう。」佐野君は、こだわらずに言った。事変のはじまったばかりの頃は、佐野君は此の祝辞を、なんだか言いにくかった。でも、いまは、こだわりもなく祝辞を言える。だんだん、このように気持が統一されて行くのであろう。いいことだ、と佐野君は思った。
「可愛いがっていた甥御さんだったから、」令嬢は利巧そうな、落ちついた口調で説明した。「おじさんが、やっぱり、ゆうべは淋《さび》しがって、とうとう泊っちゃったの。わるい事じゃないわね。あたしは、おじさんに力をつけてやりたくて、けさは、お花を買ってあげたの。それから旗を持って送って来たの。」
「あなたのお家は、宿屋なの?」佐野君は、何も知らない。令嬢も、じいさんも笑った。
 停留場についた。佐野君と、じい
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