盲人独笑
太宰治

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)編纂《へんさん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)葛原|勾当《こうとう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「凵<茲」、355−17]
−−

[#ここから7字下げ]
よる。まつのこのまより月さやかにみゆると。ひとの申さるるをききてよめる。
はなさきて。ちりにしあとの。このまより
  すすしくにほふ。つきのかけかな
まだ。ほかにも。あるなれど。ままにしておけ。
                  ――葛原勾当日記――
[#ここで字下げ終わり]



     はしかき

 葛原|勾当《こうとう》日記を、私に知らせてくれた人は、劇作家伊馬鵜平君である。堂々七百頁ちかくの大冊である。大正四年に、勾当の正孫、葛原|※[#「凵<茲」、355−17]《しげる》というお人に依《よ》って編纂《へんさん》せられ、出版と共に世人を驚倒せしめたものの様であるが、不勉強の私は、最近、友人の伊馬鵜平君に教えられ、はじめて知った次第である。私一個人にとっては、ひどくもの珍しい日記ではあっても、世の読書人には、ああ、あれか、と軽く一首肯を以《もっ》てあしらわれる普遍の書物であるのかも知れない。そこは、馬鹿の一つ覚えでおくめんも無く押し切って、世の中に我のみ知るという顔で、これから、仔細《しさい》らしく物語ろうというわけである。
 大正四年、葛原※[#「凵<茲」、356−5]の手に依って、故勾当の日記が編纂、出版せられる迄は、葛原勾当その人に就《つ》いても、あまり知られていなかった様である。この※[#「凵<茲」、356−6]氏編纂の勾当日記には、東京帝国大学史料編纂官、和田英松というお人の序文も附加せられて在るが、それには、「葛原勾当は予が郷里|備後《びんご》の人にして音楽の技を以て其名三備に高かりき。予、幼時より勾当の名を聞くこと久しかりしも、唯、音楽に堪能なりし盲人とのみ思い居たりき。然《しか》るに、近年勾当の令孫※[#「凵<茲」、356−10]君を識るに及び、勾当の性行逸事等を聞きて音楽の妙手たりしのみならず、其他種々の点に於ても称揚すべきもの多かりしを知りぬ。云々。」とあって、
次へ
全12ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング