君の身辺の者はもう向うへ行ってしまったよ。」
「相変らず先生は臆病だな。落着きというものが無い。あの身辺の者たちは、駅の前で解散になって、それから朝食という事になるのですよ。あ、ちょっとここで待っていて下さい。弁当をもらって来ますからね。先生のぶんも貰《もら》って来ます。待っていて下さい。」と言って、走りかけ、また引返し、「いいですか。ここにいて下さいよ。すぐに帰って来ますから。」
 君はどういう意味か、紫の袋にはいった君の軍刀を僕にあずけて、走り去った。僕は、まごつきながらも、その軍刀を右手に持って君を待った。しばらくして君は、竹の皮に包まれたお弁当を二つかかえて現れ、
「残念です。嗚呼《ああ》、残念だ。時間が無いんですよ、もう。」
「何時間も無いのか? もう、すぐか?」と僕は、君の所謂《いわゆる》落着きの無いところを発揮した。
「十一時三十分まで。それまでに、駅前に集合して、すぐ出発だそうです。」
「いま何時だ。」君の愚かな先生は、この十五、六年間、時計というものを持った事が無い。時計をきらいなのでは無く、時計のほうでこの先生をきらいらしいのである。時計に限らず、たいていの家財は、
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