をつぶつて、さまざまのことを考へてゐたら、私の背後で、床の間ふきながら、十五の娘さんは、しんからいまいましさうに、多少、とげとげしい口調で、さう言つた。私は、振りむきもせず、
「さうかね。わるくなつたかね。」
 娘さんは、拭き掃除の手を休めず、
「ああ、わるくなつた。この二、三日、ちつとも勉強すすまないぢやないの。あたしは毎朝、お客さんの書き散らした原稿用紙、番号順にそろへるのが、とつても、たのしい。たくさんお書きになつて居れば、うれしい。ゆうべもあたし、二階へそつと様子を見に来たの、知つてる? お客さん、ふとん頭からかぶつて、寝てたぢやないか。」
 私は、ありがたい事だと思つた。大袈裟な言ひかたをすれば、これは人間の生き抜く努力に対しての、純粋な声援である。なんの報酬も考へてゐない。私は、娘さんを、美しいと思つた。
 十月末になると、山の紅葉も黒ずんで、汚くなり、とたんに一夜あらしがあつて、みるみる山は、真黒い冬木立に化してしまつた。遊覧の客も、いまはほとんど、数へるほどしかない。茶店もさびれて、ときたま、おかみさんが、六つになる男の子を連れて、峠のふもとの船津、吉田に買物をしに出か
前へ 次へ
全32ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング