を見る事になるのである。夏は炉のかわりに風炉《ふろ》を備えて置く事になっているが、風炉といっても、据風呂ではない。さすがに入浴の設備まではしていない。まあ、七輪《しちりん》の上品なものと思って居れば間違いはなかろう。風炉と釜と床の間、これに対して歎息を発し、次は炭手前の拝見である。主人が炉に炭をつぐのを、いざり寄って拝見して、またも深い溜息をもらす。さすがは、と言って膝《ひざ》を打って感嘆する人も昔はあったが、それはあまり大袈裟《おおげさ》すぎるので、いまは、はやらない。溜息だけでよいのである。それから、香合をほめる事などもあって、いよいよ懐石料理と酒が出るのであるが、黄村先生は多分この辺は省略して、すぐに薄茶という事になるのではあるまいか。聖戦下、贅沢なことを望んではならぬ。先生に於いても、必ずやこの際、極端に質素な茶会を催し、以て私たち後輩にきびしい教訓を垂れて下さるおつもりに違いない。私は懐石料理の作法に就いての勉強はいい加減にして、薄茶のいただき方だけを念いりに独習して置いた。そうして私のそのような予想は果して当っていたのであったが、それにしても、あまりに質素な茶会だったので、
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