はやめ給え。それは駅前の金物屋から四、五年前に二円で買って来たものだ。そんなものを褒《ほ》める奴があるか。」
 どうも勝手が違う。けれども私は、あくまでも「茶道読本」で教えられた正しい作法を守ろうと思った。
 釜の拝見の次には床の間の拝見である。私たちは六畳間の床の間の前に集って掛軸を眺めた。相変らずの佐藤一斎先生の書である。黄村先生には、この掛軸一本しか無いようである。私は掛軸の文句を低く音読した。
 寒暑栄枯天地之呼吸也。苦楽|寵辱《ちょうじょく》人生之呼吸也。達者ニ在ッテハ何ゾ必ズシモ其|遽《にわ》カニ至ルヲ驚カン哉《や》。
 これは先日、先生から読み方を教えられたばかりなので、私には何の苦も無く読めるのである。
「流石《さすが》にいい句ですね。」私はまた下手《へた》なお追従《ついしょう》を言った。「筆蹟にも気品があります。」
「何を言っているんだ。君はこないだ、贋物《にせもの》じゃないかなんて言って、けちを附けてたじゃないか。」
「そうでしたかね。」私は赤面した。
「お茶を飲みに来たんだろう?」
「そうです。」
 私たちは部屋の隅にしりぞいて、かしこまった。
「それじゃ、はじめ
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