また度に適して主客共に清雅の和楽を尽すものは、じつに茶道に如《し》くはなかるべしと被存候。往昔、兵馬|倥※[#「にんべん+總のつくり」、389−10]《こうそう》武門勇を競い、風流まったく廃せられし時と雖も、ひとり茶道のみは残りて存し、よく英雄の心をやわらげ、昨日は仇讐《きゅうしゅう》相視るの間も茶道の徳に依《よ》りて今日は兄弟相親むの交りを致せしもの少しとせずとやら聞及申候。まことに茶道は最も遜譲《そんじょう》の徳を貴び、かつは豪奢の風を制するを以《もっ》て、いやしくもこの道を解すれば、おのれを慎んで人に驕《おご》らず永く朋友の交誼を保たしめ、また酒色に耽《ふけ》りて一身を誤り一家を破るの憂いも無く、このゆえに月卿雲客《げっけいうんかく》または武将の志高き者は挙《こぞ》ってこの道を学びし形跡は、ものの本に於いていちじるしく明白に御座候。
 そもそも茶道は、遠く鎌倉幕府のはじめに当り五山の僧支那より伝来せしめたりとは定説に近く、また足利氏の初世、京都に於いて佐々木道誉等、大小の侯伯を集めて茶の会を開きし事は伝記にも見えたる所なれども、これらは奇物名品をつらね、珍味|佳肴《かこう》を供し、華美相競うていたずらに奢侈《しゃし》の風を誇りしに過ぎざるていたらくなれば、未だ以て真誠の茶道を解するものとは称し難く、降《くだ》って義政公の時代に及び、珠光なるもの出でて初めて台子真行《だいすしんぎょう》の法を講じ、之《これ》を紹鴎《しょうおう》に伝え、紹鴎また之を利休居士に伝授申候事、ものの本に相見え申候。まことにこの利休居士、豊太閤に仕えてはじめて草畧の茶を開き、この時よりして茶道大いに本朝に行われ、名門豪戸競うて之を玩味《がんみ》し給うとは雖も、その趣旨たるや、みだりに重宝珍器を羅列して豪奢を誇るの顰《ひん》に傚《なら》わず、閑雅の草庵に席を設けて巧みに新古精粗の器物を交置し、淳朴《じゅんぼく》を旨とし清潔を貴び能く礼譲の道を修め、主客応酬の式|頗《すこぶ》る簡易にしてしかもなお雅致を存し、富貴も驕奢に流れず貧賤も鄙陋《ひろう》に陥らず、おのおの其分に応じて楽しみを尽すを以て極意となすが如きものなれば、この聖戦下に於いても最適の趣味ならんかと思量致し、近来いささかこの道に就きて修練仕り申候ところ、卒然としてその奥義を察知するにいたり、このよろこびをわれ一人の胸底に秘するも益な
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