の人は、この言葉を小説の別名の如く気楽に考えて使用しているようですが、真の創作は未だに日本に於いて明治以後、一篇もあらわれていないと思う。どこかに、かならずお手本の匂いがします。それが愛嬌《あいきょう》だった時代もあったのですが、今では外国の思想家も芸術家も、自分たちの行く路に就いて何一つ教えてはくれません。敗北を意識せず、自身の仕事に幽《かす》かながらも希望を感じて生きているのは、いまは、世界中で日本の芸術家だけかも知れない。仕合せな事です。日本は、芸術の国なのかも知れぬ。
すべては、これからです。自分も、死ぬまで小説を書いて行きます。その時のジャアナリズムが、政府の方針を顧慮し過ぎて、自分の小説の発表を拒否する事が、もし万一あったとしても、自分は黙って書いて行きます。発表せずとも、書き残して置くつもりです。自分は明白に十九世紀の人間です。二十世紀の新しい芸術運動に参加する資格がありません。けれども、一粒の種子は、確実に残して置きたい。こんな男もいたという事を、はっきり書いて残して置きたい。
君は、だらしが無い。旅行をなさるそうですが、それもよかろう。君に今、一ばん欠けているもの
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