は憂鬱《ゆううつ》であった。気がすすまないのだ。
「アパートに行けば、すばらしいプレイがあるのですか?」
 くすと笑って、
「何もありやしませんわ。作家って、案外、現実家なのねえ。」
「そりゃ、……」
 と私は、言いかけて口を噤《つぐ》んだ。
 いた! いたのだ。半病人の家の者が、白いガーゼのマスクを掛けて、下の男の子を背負い、寒風に吹きさらされて、お米の配給の列の中に立っていたのだ。家の者は、私に気づかぬ振りをしていたが、その傍に立っている上の女の子は、私を見つけた。女の子は、母の真似《まね》をして、小さい白いガーゼのマスクをして、そうして白昼、酔ってへんなおばさんと歩いている父のほうへ走って来そうな気配を示し、父は息《いき》の根のとまる思いをしたが、母は何気無さそうに、女の子の顔を母のねんねこの袖《そで》で覆《おお》いかくした。
「お嬢さんじゃありません?」
「冗談じゃない。」
 笑おうとしたが、口がゆがんだだけだった。
「でも、感じがどこやら、……」
「からかっちゃいけない。」
 私たちは、配給所の前を通り過ぎた。
「アパートは? 遠いんですか?」
「いいえ、すぐそこよ。いらして下さる? お友達がよろこぶわ。」
 家の者にお金を置いて来なかったが、大丈夫なのかしら。私は脂汗《あぶらあせ》を流していた。
「行きましょう。どこか途中に、ウイスキイでも、ゆずってくれる店が無いかな?」
「お酒なら、わたくし、用意してありますわ。」
「どれくらい?」
「現実家ねえ。」
 アパートの、前田さんの部屋には、三十歳をとうに越えて、やはりどうにも、まともでない感じの女が二人、あそびに来ていた。そうして色気も何もなく、いや、色気におびえて発狂気味、とでも言おうか、男よりも乱暴なくらいの態度で私に向って話しかけ、また女同士で、哲学だか文学だか美学だか、なんの事やら、まるでちっともなっていない、阿呆《あほ》くさい限りの議論をたたかわすのである。地獄だ、地獄だ、と思いながら、私はいい加減のうけ応えをして酒を飲み、牛鍋《ぎゅうなべ》をつつき散らし、お雑煮《ぞうに》を食べ、こたつにもぐり込んで、寝て、帰ろうとはしないのである。
 義。
 義とは?
 その解明は出来ないけれども、しかし、アブラハムは、ひとりごを殺さんとし、宗吾郎は子わかれの場を演じ、私は意地になって地獄にはまり込まなければな
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