にそう思っていたのです。いや、不思議です。それで朝からこんな仕度をして、お待ち申していました。不思議だな。まあ、どうぞ。」
やがて僕たちはゆるゆるとビイルを呑みはじめたわけであった。
「どうです。お仕事ができましたか?」
「それが駄目でした。この百日紅《さるすべり》に油蝉《あぶらぜみ》がいっぱいたかって、朝っから晩までしゃあしゃあ鳴くので気が狂いかけました。」
僕は思わず笑わされた。
「いや、ほんとうですよ。かなわないので、こんなに髪を短くしたり、さまざまこれで苦心をしたのですよ。でも、きょうはよくおいでくださいました。」黒ずんでいる唇をおどけものらしくちょっと尖《とが》らせて、コップのビイルをほとんど一息に呑んでしまった。
「ずっとこっちにいたのですか。」僕は唇にあてたビイルのコップを下へ置いた。コップの中には蚋《ぶよ》に似た小さい虫が一匹浮いて、泡のうえでしきりにもがいていた。
「ええ。」青扇は卓に両|肘《ひじ》をついてコップを眼の高さまでささげ、噴きあがるビイルの泡をぼんやり眺めながら余念なさそうに言った。「ほかに行くところもないのですものねえ。」
「ああ。お土産《みやげ》を
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