て、寝て、片手で顔を覆《おお》い、小声で、あああ、と言って、やがて、死んだように深く眠る。
 朝、同僚のひとりにゆり起された。
「おい、鶴。どこを、ほっつき歩いていたんだ。三鷹の兄さんから、何べんも会社へ電話が来て、われわれ弱ったぞ。鶴がいたなら、大至急、三鷹へ寄こしてくれるようにという電話なんだ。急病人でも出来たんじゃないか? ところがお前は欠勤で、寮にも帰って来ないし、森ちゃんも心当りが無いと言うし、とにかくきょうは三鷹へ行って見ろ。ただ事でないような兄さんの口調だったぜ。」
 鶴は、総毛立《そうけだ》つ思いである。
「ただ、来いとだけ言ったのか。他には、何も?」
 既にはね起きてズボンをはいている。
「うん、何でも急用らしい。すぐ行って来たほうがいい。」
「行って来る。」
 何が何だか、鶴にはわけがわからなくなって来た。自分の身の上が、まだ、世間とつながる事が出来るのか。一瞬、夢見るような気持になったが、あわててそれを否定した。自分は人類の敵だ。殺人鬼である。
 既に人間では無いのである。世間の者どもは全部、力を集中してこの鬼一匹を追い廻しているのだ。もはや、それこそ蜘蛛《くも》
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