女にも気の毒です。数枝さん、私はあなたのためにもう一生、妻をめとられない男になりました。島田の出征の事は、私は少しも知りませんでした。島田の小説がこの数年来ちっとも発表されなくなったのも、この大戦で、小説家たちも軍需工場か何かに進出して行かざるを得なくなったからだろうくらいに考えていました。しかし、新作の小説が出なくても、私の手許《てもと》には、以前の島田の本が何冊も残っています。あまりのろわしくて、焼いてしまおうかと思った事もありましたが、何だかそれは、あなたのからだを焼くような気がして、とても私には出来ませんでした。あの島田の本を、憎んでいながら、それでも、その本の中のあなたが慕わしくて、私は自分の手許から離す事が出来なかったのです。この十年間、あなたはいつも私の傍にいたのです。白足袋や主婦の一日始まりぬ。あなたのその綺麗な姿が、朝から晩まで、私の身のまわりにちらちら動いて、はたらいているのです。忘れようたって、とても駄目です。そこへ突然、あなたが帰って来られた。聞けば島田は、もうずっと前に出征して、そうしてどうやら戦死したらしいという事で、私は、……。
(数枝) それからあとは言
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