くうるめ一枚
凡兆が、それに続ける。わるくない。農夫の姿が眼前に浮ぶ。けれども、少し気取りすぎて、きざなところがある。ハイカラすぎる。芭蕉が続けて、
此《この》筋は銀《かね》も見知らず不自由さよ
少し濁っている。ごまかしている。私はこの句を、農夫の愚痴《ぐち》の呟《つぶや》きと解している。普通は、この句を「田舎の人たちは銀も見知らずさぞ不自由な暮しであろう」という工合いによその人が、田舎の人の暮しを傍観して述懐したもののように解しているようだが、それだったら、実に、つまらない句だ。「此筋」も、いやみったらしいし、「お金が無いから不自由だろう」という感想は、あまりにも当然すぎた話で、ほとんど無意味に近い。「此筋」という言葉使いには、多少、方言が加味されているような気がする。お百姓の言葉だ。うるめの灰を打たたきながら「此筋は銀も見知らず不自由さよ」と、ちょっと自嘲を含めた愚痴をもらしてみたところではなかろうか。「此筋」というのは、「此道筋と云わんが如し」と幸田博士も言って居られたようであるが、それならば、「此筋」は「おらのほう」というような地理的な言葉になるが、私には、それよりも
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