もまんざらでない出來榮か、僕はそれをさへ知らうと思ふまい。おそらくは、僕のこの小説は、僕の思ひも及ばぬたいへんな價値を生むことであらう。これらの言葉は、僕はひとから聞いて得たものである。僕の肉體からにじみ出た言葉でない。それだからまた、たよりたい氣にもなるのであらう。はつきり言へば、僕は自信をうしなつてゐる。

 電氣がついてから、小菅がひとりで病室へやつて來た。はひるとすぐ、寢てゐる葉藏の顏へおつかぶさるやうにして囁いた。
「飮んで來たんだ。眞野へ内緒だよ。」
 それから、はつと息を葉藏の顏へつよく吐きつけた。酒を飮んで病室へ出はひりすることは禁ぜられてゐた。
 うしろのソフアで編物をつづけてゐる眞野をちらと横眼つかつて見てから、小菅は叫ぶやうにして言つた。「江の島をけんぶつして來たよ。よかつたなあ。」そしてすぐまた聲をひくめてささやいた。
「嘘だよ。」
 葉藏は起きあがつてベツドに腰かけた。
「いままで、ただ飮んでゐたのか。いや、構はんよ。眞野さん、いいでせう?」
 眞野は編物の手をやすめずに、笑ひながら答へた。「よくもないんですけれど。」
 小菅はベツドの上へ仰向にころがつた。

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