、ほつとけ、と言つてる。」
「大事件だなあ。」飛騨はひくい額に片手をあてて呟いた。
「葉ちやんは、ほんとに、よいのか。」
「案外、平氣だ。あいつは、いつもさうなんだ。」
小菅は浮かれてでもゐるやうに口角に微笑を含めて首かしげた。「どんな氣持ちだらうな。」
「わからん。――大庭に逢つてみないか。」
「いいよ。逢つたつて、話することもないし、それに、――こはいよ。」
ふたりは、ひくく笑ひだした。
眞野が病室から出て來た。
「聞えてゐます。ここで立ち話をしないやうにしませうよ。」
「あ。そいつあ。」
飛騨は恐縮して、おほきいからだを懸命に小さくした。小菅は不思議さうなおももちで眞野の顏を覗いてゐた。
「おふたりとも、あの、おひるの御飯は?」
「まだです。」ふたり一緒に答へた。
眞野は顏を赤くして噴きだした。
三人がそろつて食堂へ出掛けてから、葉藏は起きあがつた。雨にけむる沖を眺めたわけである。
「ここを過ぎて空濛の淵。」
それから最初の書きだしへ返るのだ。さて、われながら不手際である。だいいち僕は、このやうな時間のからくりを好かない。好かないけれど試みた。ここを過ぎて悲しみの市
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