ガアゼが貼りつけられてゐた。浪にもまれ、あちこちの岩でからだを傷つけたのである。眞野といふ二十くらゐの看護婦がひとり附き添つてゐた。左の眼蓋のうへに、やや深い傷痕があるので、片方の眼にくらべ、左の眼がすこし大きかつた。しかし、醜くなかつた。赤い上唇がこころもち上へめくれあがり、淺黒い頬をしてゐた。べツドの傍の椅子に坐り、曇天のしたの海を眺めてゐるのである。葉藏の顏を見ぬやうに努めた。氣の毒で見れなかつた。
正午ちかく、警察のひとが二人、葉藏を見舞つた。眞野は席をはづした。
ふたりとも、脊廣を着た紳士であつた。ひとりは短い口鬚を生やし、ひとりは鐵縁の眼鏡を掛けてゐた。鬚は、聲をひくくして園とのいきさつを尋ねた。葉藏は、ありのままを答へた。鬚は、小さい手帖へそれを書きとるのであつた。ひととほりの訊問をすませてから、鬚は、ベツドへのしかかるやうにして言つた。「女は死んだよ。君には死ぬ氣があつたのかね。」
葉藏は、だまつてゐた。
鐵縁の眼鏡を掛けた刑事は、肉の厚い額に皺を二三本もりあがらせて微笑みつつ、鬚の肩を叩いた。「よせ、よせ。可愛さうだ。またにしよう。」
鬚は、葉藏の眼つきを、まつすぐに見つめたまま、しぶしぶ手帖を上衣のポケツトにしまひ込んだ。
その刑事たちが立ち去つてから、眞野は、いそいで葉藏の室へ歸つて來た。けれども、ドアをあけたとたんに、嗚咽してゐる葉藏を見てしまつた。そのままそつとドアをしめて、廊下にしばらく立ちつくした。
午後になつて雨が降りだした。葉藏は、ひとりで厠へ立つて歩けるほど元氣を恢復してゐた。
友人の飛騨が、濡れた外套を着たままで、病室へをどり込んで來た。葉藏は眠つたふりをした。
飛騨は眞野へ小聲でたづねた。「だいぢやうぶですか?」
「ええ、もう。」
「おどろいたなあ。」
彼は肥えたからだをくねくねさせてその油土くさい外套を脱ぎ、眞野へ手渡した。
飛騨は、名のない彫刻家で、おなじやうに無名の洋畫家である葉藏とは、中學校時代からの友だちであつた。素直な心を持つた人なら、そのわかいときには、おのれの身邊ちかくの誰かをきつと偶像に仕立てたがるものであるが、飛騨もまたさうであつた。彼は、中學校へはひるとから、そのクラスの首席の生徒をほれぼれと眺めてゐた。首席は葉藏であつた。授業中の葉藏の一※[#「口+頻」、第3水準1−15−29]一
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