それだけの理由で、僕はこの大庭葉藏をやはり押し通す。をかしいか。なに、君だつて。

 一九二九年、十二月のをはり、この青松園といふ海濱の療養院は、葉藏の入院で、すこし騷いだ。青松園には三十六人の肺結核患者がゐた。二人の重症患者と、十一人の輕症患者とがゐて、あとの二十三人は恢復期の患者であつた。葉藏の收容された東第一病棟は、謂はば特等の入院室であつて、六室に區切られてゐた。葉藏の室の兩隣りは空室で、いちばん西側のへ號室には、脊と鼻のたかい大學生がゐた。東側のい號室とろ號室には、わかい女のひとがそれぞれ寢てゐた。三人とも恢復期の患者である。その前夜、袂ヶ浦で心中があつた。一緒に身を投げたのに、男は、歸帆の漁船に引きあげられ、命をとりとめた。けれども女のからだは、見つからぬのであつた。その女のひとを搜しに半鐘をながいこと烈しく鳴らして村の消防手どものいく艘もいく艘もつぎつぎと漁船を沖へ乘り出して行く掛聲を、三人は、胸とどろかせて聞いてゐた。漁船のともす赤い火影が、終夜、江の島の岸を彷徨うた。大學生も、ふたりのわかい女も、その夜は眠れなかつた。あけがたになつて、女の死體が袂ヶ浦の浪打際で發見された。短く刈りあげた髮がつやつや光つて、顏は白くむくんでゐた。
 葉藏は園の死んだのを知つてゐた。漁船でゆらゆら運ばれてゐたとき、すでに知つたのである。星空のしたでわれにかへり、女は死にましたか、とまづ尋ねた。漁夫のひとりは、死なねえ、死なねえ、心配しねえがええずら、と答へた。なにやら慈悲ぶかい口調であつた。死んだのだな、とうつつに考へて、また意識を失つた。ふたたび眼ざめたときには、療養院のなかにゐた。狹くるしい白い板壁の部屋に、ひとがいつぱいつまつてゐた。そのなかの誰かが葉藏の身元をあれこれと尋ねた。葉藏は、いちいちはつきり答へた。夜が明けてから、葉藏は別のもつとひろい病室に移された。變を知らされた葉藏の國元で、彼の處置につき、取りあへず青松園へ長距離電話を寄こしたからである。葉藏のふるさとは、ここから二百里もはなれてゐた。
 東第一病棟の三人の患者は、この新患者が自分たちのすぐ近くに寢てゐるといふことに不思議な滿足を覺え、けふからの病院生活を樂しみにしつつ、空も海もまつたく明るくなつた頃やうやく眠つた。
 葉藏は眠らなかつた。ときどき頭をゆるくうごかしてゐた。顏のところどころに白い
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