笑も、飛騨にとつては、ただごとでなかつた。また、校庭の砂山の陰に葉藏のおとなびた孤獨なすがたを見つけて、ひとしれずふかい溜息をついた。ああ、そして葉藏とはじめて言葉を交した日の歡喜。飛騨は、なんでも葉藏の眞似をした。煙草を吸つた。教師を笑つた。兩手を頭のうしろに組んで、校庭をよろよろとさまよひ歩く法もおぼえた。藝術家のいちばんえらいわけをも知つたのである。葉藏は、美術學校へはひつた。飛騨は一年おくれたが、それでも葉藏とおなじ美術學校へはひることができた。葉藏は洋畫を勉強してゐたが、飛騨は、わざと塑像科をえらんだ。ロダンのバルザツク像に感激したからだと言ふのであつたが、それは彼が大家になつたとき、その經歴に輕いもつたいをつけるための餘念ない出鱈目であつて、まことは葉藏の洋畫に對する遠慮からであつた。ひけめからであつた。そのころになつて、やうやく二人のみちがわかれ始めた。葉藏のからだは、いよいよ痩せていつたが、飛騨は、すこしづつ太つた。ふたりの懸隔はそれだけでなかつた。葉藏は、或る直截な哲學に心をそそられ、藝術を馬鹿にしだした。飛騨は、また、すこし有頂天になりすぎてゐた。聞くものが、かへつてきまりのわるくなるほど、藝術といふ言葉を連發するのであつた。つねに傑作を夢みつつ、勉強を怠つてゐた。さうしてふたりとも、よくない成績で學校を卒業した。葉藏は、ほとんど繪筆を投げ捨てた。繪畫はポスタアでしかないものだ、と言つては、飛騨をしよげさせた。すべての藝術は社會の經濟機構から放たれた屁である。生活力の一形式にすぎない。どんな傑作でも靴下とおなじ商品だ、などとおぼつかなげな口調で言つて飛騨をけむに卷くのであつた。飛騨は、むかしに變らず葉藏を好いてゐたし、葉藏のちかごろの思想にも、ぼんやりした畏敬を感じてゐたが、しかし飛騨にとつて、傑作のときめきが、何にもまして大きかつたのである。いまに、いまに、と考へながら、ただそはそはと粘土をいぢくつてゐた。つまり、この二人は藝術家であるよりは、藝術品である。いや、それだからこそ、僕もかうしてやすやすと敍述できたのであらう。ほんとの市場の藝術家をお目にかけたら、諸君は、三行讀まぬうちにげろを吐くだらう。それは保證する。ところで、君、そんなふうの小説を書いてみないか。どうだ。
飛騨もまた葉藏の顏を見れなかつた。できるだけ器用に忍びあしを使ひ、葉藏
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