から亭主はこのままでは、ならず者になるばかりだろうという事、にこりともせず乱れた髪を掻《か》きあげ掻きあげ、あたかもその雑誌社の人が仇敵《きゅうてき》か何かでもあるみたいに、ひどく憎々しげにまくしたてますので、わざわざ私の詩を頼みに来て下さる人たちも、イヤな顔をして、きっと私と女房と両方を軽蔑なさってしまうのでしょう、早々に退却してしまいます。そうして、女房は、その人の帰ったあとは私に食ってかかって、あんなのは大事なお客なのに、あなたは愛想が無いからすぐに逃がしてしまう、あたしにばかり頼っていないで、あなたも男なら男らしく、もっと元気を出して、交際を派手にやるようにしなければいけない、とまるで八つ当りのお説教をするのでございます。
 私はその頃、或るインチキ新聞の広告取りみたいな事もやって居りまして、炎天下あせだくになって、東京市中を走りまわり、行く先々で乞食《こじき》同様のあつかいを受け、それでも笑ってぺこぺこ百万遍お辞儀をして、どうやら一円紙幣を十枚ちかく集める事が出来て、たいへんな意気込みで家へ帰ってまいりましたが、忘れも致しません、残暑の頃の夕方で女房は縁側で両肌を脱ぎ髪を洗っていまして、私が、おいきょうは大金を持って来たよ、と言い、その紙幣を見せましても、女房はにこりともせず、一円札ならたかが知れている、と言いまして、また髪を洗いつづけます。私は世にも情無い気持になりまして、それではこの金は要らないのか、と言いますと、彼女は落ちついて自分の膝元を顎《あご》で差し、ここへ置きなさい、と言うのです。私は、言いつけられたとおりにそこへ置いたとたん、さっと夕風が吹いて来て、その紙幣が庭へ飛び散りまして、一円札でも何でも、私にとっては死ぬほどの苦労をして集めて来た大金です、思わず、あっと声を挙げて庭に降りてその紙幣の後を追った時の、みじめな気持ったら比類の無いものでございました。この女は、信州にたった一人の肉親の弟があるとか言って、私の集めて来るお金はたいていその弟のところへ為替《かわせ》で送られるのでした。そうして、私の顔を見るとすぐ、金、金、金と言うのです。私はこの女に金を与えるために、強盗、殺人、何でももう、やってやろうかという気にさえなった事がございます。金銭の罪を犯す人の身のまわりには、きっとこんなたちの女が坐っているのだろうと思いました。
 奇妙な事には、この女はあれほど私の詩の仲間を糞味噌《くそみそ》に悪く言い、殊《こと》にも仲間で一番若い浅草のペラゴロの詩人、といってもまだ詩集の一つも出していないほんの少年でしたが、そいつに対する彼女の蔭の嘲罵《ちょうば》は、最も物凄いものでございまして、そうして何の事は無い、やがてその少年と通じ、私を捨てて逃げて行きましたのでございます。まことに女は、奇怪な事をするものでございます。まったく、じっさい、その心理を解するに苦しむのみでございます。

 しかし、これでも、その次の三番目の女房に較べると、まだよいほうだと言わなければなりませんのでございます。これはもうはじめから、私を苦力《クリイ》のようにこき使う目的を以て私に近づいて来たのです。その頃は私も、おのずから次第にダメになり、詩を書く気力も衰え、八丁堀の路地に小さいおでんやの屋台を出し、野良犬《のらいぬ》みたいにそこに寝泊りしていたのですが、その路地のさらに奥のほうに、六十過ぎの婆とその娘と称する四十ちかい大年増が、焼芋《やきいも》やの屋台を出し、夜寝る時は近くの木賃宿に行き、ほとんど私同様、無一物の乞食みたいな生活をしていまして、そいつらが私に眼をつけ、何かと要らない手伝いなどして、とうとう私はその木賃宿に連れて行かれ、それがまあ悪縁のはじまりでございまして、二つの屋台をくっつけて謂《い》わばまあ店舗《てんぽ》の拡張という事になり、私は大工さんの仕事やら、店の品の仕入れやら、毎日へとへとになるまで働き、婆と娘は客の相手で、いやな用事はみんな私に押しつけ、売上げの金は婆と娘が握ってはなさず、だんだん私を露骨に下男あつかいにして来まして、夜に木賃宿で私が娘に近づこうとすると、婆と娘は、しっ、しっ、とまるで猫でも追うようなイヤな叱り方をして私を遠ざけてしまいます。あとで少しずつ私にも気がついて来たのでございますが、この婆と娘は、ほんとうの親子で無いようなところもあり、何が何やら、二人とも夜鷹《よたか》くらいまで落ちた事があるような気配も見え、とにかくあまり心根が悪すぎてみんなに呆《あき》れられ捨てられ、もういまでは誰からも相手にされなくなっていたようなのでございました。私はこの四十ちかい大年増から、たちの悪い病気までうつされ、人知れぬ苦労をしたのでございますが、婆と娘はかえってそのとがを私に押しつけ、娘は何か面白くない事があ
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