もかも自分たちの民族の信仰の不足のせいであると思い込んでいたのだ。ただ、エホバのみを恐れた。罪が悪霊の単独の誘惑の結果であるという考えは、嘗《かつ》て彼等に起った事が無かったのである。エデンの園の蛇でさえ彼等の眼には、勝手に神の命令にそむいたアダムやエバより悪くはなかったのだ。けれども、ザラツストラの教義の影響を受けて、ユダヤ人も今はエホバに依って完成せられた一切の善を、くつがえそうとしているもう一つの霊の存在を信じ始めた。
 彼等はそれをエホバの敵、すなわち、サタンと名づけた。」というのであるが、簡明の説である。そろそろサタンは、剛猛の霊として登場の身仕度をはじめた。そうして新約の時代に到って、サタンは堂々、神と対立し、縦横無尽に荒れ狂うのである。サタンは新約聖書の各頁に於いて、次のような、種々さまざまの名前で呼ばれている。二つ名のある、というのが日本の歌舞伎では悪党を形容する言葉になっているようだが、サタンは、二つや三つどころではない。デイアボロス、ベリアル、ベルゼブル、悪鬼の首《かしら》、この世の君、この世の神、訴うるもの、試むる者、悪しき者、人殺、虚偽の父、亡す者、敵、大なる竜
前へ 次へ
全19ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング