も行く、私をこのまま連れていって逃げて下さい、私をめちゃめちゃにして下さいと私ひとりの思いだけが、その夜ばかり、唐突に燃え上って、私は、暗い小路小路を、犬のように黙って走って、ときどき躓《つまず》いてはよろけ、前を掻《か》き合せてはまた無言で走りつづけ涙が湧いて出て、いま思うと、なんだか地獄の底のような気持でございます。市ヶ谷見附の市電の停留場にたどりついたときは、ほとんど呼吸ができないくらいに、からだが苦しく眼の先がもやもや暗くて、きっとあれは気を失う一歩手前の状態だったのでございましょう。停留場には人影ひとつ無かったのでした。たったいま、電車が通過した跡の様子でございました。私は最後の一つの念願として、兄さあん! とできるだけの声を絞って呼んでみました。しんとしています。私は胸に両袖を合せて帰りました。途々、身なりを整えてお家へ戻り、静かにお部屋の障子をあけたら、母は、何かあったのかい? といぶかしそうに私の顔を見るので、ええ、芹川さんがいなくなったんですって、たいへんねえ、とさりげなく答えて、また縫いものをはじめました。母は、何か私につづけて問いたいふうでしたが、思いかえした様子
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