には、毎朝毎夕挨拶を交して、兄さんは、いつでも、お店で、小僧さんたちと一緒に、くるくると小まめに立ち働いていました。女学校を出てからも、兄さんは、一週間にいちどくらいは、何かと注文のお菓子をとどけに、私の家へまいっていまして、私も気易く兄さん、兄さんとお呼びしていました。でも、こんなに遅く私の家にまいりましたことは一度も無いのですし、それに、わざわざ私を、こっそり呼ぶというのは、いよいよ芹川さんのれいの問題が爆発したのにちがいない、とわくわくしてしまって、私のほうから、
「芹川さんは、このごろお見えになりませんのよ。」と何も聞かれぬさきに口走ってしまいました。
「お嬢さん、ご存じだったの?」と兄さんは一瞬けげんな顔をなさいました。
「いいえ。」
「そうですか。あいつ、いなくなったんです。ばかだなあ、文学なんて、ろくな事がない。お嬢さんも、まえから話だけはご存じなんでしょう?」
「ええ、それは、」声が喉《のど》にひっからまって困りました。「存じて居ります。」
「逃げて行きました。でも、たいていいどころがわかっているんです。お嬢さんには、あいつ、このごろ、何も言わなかったんですね?」
「え
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