いときに一人でふらりと東京に出て来て半分政治家、半分商人のような何だか危かしいことをやって、まあ、紳商とでもいうのでしょうか、それでも、どうやら成功して、中年で牛込のこの屋敷を買い入れ、落ちつくことが出来たようです。嘘か、ほんとか、わかりませんけれど、ずっと以前、東京駅で御災厄にお遭いなされた原敬とは同郷で、しかも祖父のほうが年輩からいっても、また政治の経歴からいっても、はるかに先輩だったので、祖父は何かと原敬に指図《さしず》をすることができて、原敬のほうでも、毎年お正月には、大臣になられてからでさえ、牛込のこの家に年始の挨拶に立ち寄られたものだそうですが、これは、あまりあてになりません。なぜって、祖父が私に、そう言って教えたのは、私が、十二の時、父母と一緒にはじめて東京の、この家に帰り、祖父は、それまで一人牛込に残って暮していたのですが、もう、八十すぎの汚いおじいさんになっていて、私はまた、それまでお役人の父が浦和、神戸、和歌山、長崎と任地を転々と渡り歩いているのについて歩いて、生れたところも浦和の官舎ですし、東京の家へ遊びに来たことも、ほんの数えるほどしかありませんでしたから、祖父
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