》をして、たっぷり四昼夜かかって、やっと津軽の生家に着いた。生家では皆、笑顔を以《もっ》て迎えてくれた。私のお膳《ぜん》には、お酒もついた。
しかし、この本州の北端の町にも、艦載機《かんさいき》が飛んで来て、さかんに爆弾を落して行く。私は生家に着いた翌《あく》る日から、野原に避難小屋を作る手伝いなどした。
そうして、ほどなくあの、ラジオの御放送である。
長兄はその翌る日から、庭の草むしりをはじめた。私も手伝った。
「わかい頃には、」と兄は草をむしりながら、「庭に草のぼうぼうと生《は》えているのも趣《おもむ》きがあるとも思ったものだが、としをとって来ると、一本の草でも気になっていけない。」
それでは私なども、まだこれでも、若いのであろうか。草ぼうぼうの廃園は、きらいでない。
「しかし、これくらいの庭でも、」と兄は、ひとりごとのように低く言いつづける。「いつも綺麗《きれい》にして置こうと思えば、庭師を一日もかかさず入れていなければならない。それにまた、庭木の雪がこいが、たいへんだ。」
「やっかいなものですね。」と居候《いそうろう》の弟は、おっかなびっくり合槌《あいづち》を打つ。
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