大となり、吉野、室町時代を経て、秀吉の全国統一に到るまで、津軽はこの南部と争ひ、津軽に於いては安東氏のかはりに津軽氏が立ち、どうやら津軽一国を安堵し、津軽氏は十二代つづいて、明治維新、藩主承昭は藩籍を謹んで奉還したといふのが、まあ、津軽の歴史の大略である。この津軽氏の遠祖に就いては諸説がある。喜田博士もそれに触れて、「津軽に於いては、安東氏没落し、津軽氏独立して南部氏と境を接して長く相敵視するの間柄となつた。津軽氏は近衛関白尚通の後裔と称してゐる。しかし一方では南部氏の分れであるといひ、或ひは藤原基衡の次男|秀栄《ひでしげ》の後だとも、或ひは安東氏の一族であるかの如くにも伝へ、諸説紛々適従するところを知らぬ。」と言つてゐる。また、竹内運平氏もその事に就いて次のやうに述べてゐる。「南部家と津軽家とは江戸時代を通じ、著しく感情の疎隔を有しつつ終始した。右の原因は、南部氏が津軽家を以て祖先の敵であり旧領を押領せるものと見做す事、及び津軽家はもと南部の一族であり、被官の地位にあつたのに其主に背いたと称し、また一方、津軽家にては、わが遠祖は藤原≠ナあり、中世に於いても近衛家の血統の加はれるもので
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