印刷されたら、たいていの文章は、立派に見えるよ。」
Mさんは相手にせず、ただ黙つて笑つてゐる。勝利者の微笑である。けれども私は本心は、そんなに口惜しくもなかつたのである。いい文章を読んで、ほつとしてゐたのである。アラを拾つて凱歌などを奏するよりは、どんなに、いい気持のものかわからない。ウソぢやない。私は、いい文章を読みたい。
今別には本覚寺といふ有名なお寺がある。貞伝和尚といふ偉い坊主が、ここの住職だつたので知られてゐるのである。貞伝和尚の事は、竹内運平氏著の青森県通史にも記載せられてある。すなはち、「貞伝和尚は、今別の新山甚左衛門の子で、早く弘前誓願寺に弟子入して、のち磐城平、専称寺に修業する事十五年、二十九歳の時より津軽今別、本覚寺の住職となつて、享保十六年四十二歳に到る間、其教化する処、津軽地方のみならず近隣の国々にも及び、享保十二年、金銅塔婆建立の供養の時の如きは、領内は勿論、南部、秋田、松前地方の善男善女の雲集参詣を見た。」といふやうな事が記されてある。そのお寺を、これから一つ見に行かうぢやないか、と外ヶ浜の案内者N町会議員は言ひ出した。
「文学談もいいが、どうも、君の文
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