ゐるが、おしまひのはうに到つて、「岩城と津軽の岩城山とは南北百余里を隔て之を祭るはいぶかし。」とおのづから語るに落ちるやうな工合になつてしまつてゐる。鴎外の「山椒大夫」には、「岩代の信夫郡の住家を出て」と書いてゐる。つまりこれは、岩城といふ字を、「いはき」と読んだり「いはしろ」と読んだりして、ごちやまぜになつて、たうとう津軽の岩木山がその伝説を引受ける事になつたのではないかと思はれる。しかし、昔の津軽の人たちは、安寿厨子王が津軽の子供である事を堅く信じ、につくき山椒大夫を呪ふあまりに、丹後の人が入込めば津軽の天候が悪化するとまで思ひつめてゐたとは、私たち安寿厨子王の同情者にとつては、痛快でない事もないのである。
外ヶ浜の昔噺は、これ位にしてやめて、さて、私たちのバスはお昼頃、Mさんのゐる今別に着いた。今別は前にも言つたやうに、明るく、近代的とさへ言ひたいくらゐの港町である。人口も、四千に近いやうである。N君に案内されて、Mさんのお家を訪れたが、奥さんが出て来られて、留守です、とおつしやる。ちよつとお元気が無いやうに見受けられた。よその家庭のこのやうな様子を見ると、私はすぐに、ああ、こ
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