かりました。その人なら居ります。」
「ゐますか。どこにゐます。家はどの辺です。」
 私は教へられたとほりに歩いて、たけの家を見つけた。間口三間くらゐの小ぢんまりした金物屋である。東京の私の草屋よりも十倍も立派だ。店先にカアテンがおろされてある。いけない、と思つて入口のガラス戸に走り寄つたら、果して、その戸に小さい南京錠が、ぴちりとかかつてゐるのである。他のガラス戸にも手をかけてみたが、いづれも固くしまつてゐる。留守だ。私は途方にくれて、汗を拭つた。引越した、なんて事は無からう。どこかへ、ちよつと外出したのか。いや、東京と違つて、田舎ではちよつとの外出に、店にカアテンをおろし、戸じまりをするなどといふ事は無い。二、三日あるいはもつと永い他出か。こいつあ、だめだ。たけは、どこか他の部落へ出かけたのだ。あり得る事だ。家さへわかつたら、もう大丈夫と思つてゐた僕は馬鹿であつた。私は、ガラス戸をたたき、越野さん、越野さん、と呼んでみたが、もとより返事のある筈は無かつた。溜息をついてその家から離れ、少し歩いて筋向ひの煙草屋にはひり、越野さんの家には誰もゐないやうですが、行先きをご存じないかと尋ねた。そこの痩せこけたおばあさんは、運動会へ行つたんだらう、と事もなげに答へた。私は勢ひ込んで、
「それで、その運動会は、どこでやつてゐるのです。この近くですか、それとも。」
 すぐそこだといふ。この路をまつすぐに行くと田圃に出て、それから学校があつて、運動会はその学校の裏でやつてゐるといふ。
「けさ、重箱をさげて、子供と一緒に行きましたよ。」
「さうですか。ありがたう。」
 教へられたとほりに行くと、なるほど田圃があつて、その畦道を伝つて行くと砂丘があり、その砂丘の上に国民学校が立つてゐる。その学校の裏に廻つてみて、私は、呆然とした。こんな気持をこそ、夢見るやうな気持といふのであらう。本州の北端の漁村で、昔と少しも変らぬ悲しいほど美しく賑やかな祭礼が、いま目の前で行はれてゐるのだ。まづ、万国旗。着飾つた娘たち。あちこちに白昼の酔つぱらひ。さうして運動場の周囲には、百に近い掛小屋がぎつしりと立ちならび、いや、運動場の周囲だけでは場所が足りなくなつたと見えて、運動場を見下せる小高い丘の上にまで筵《むしろ》で一つ一つきちんとかこんだ小屋を立て、さうしていまはお昼の休憩時間らしく、その百軒の小さい家のお座敷に、それぞれの家族が重箱をひろげ、大人は酒を飲み、子供と女は、ごはん食べながら、大陽気で語り笑つてゐるのである。日本は、ありがたい国だと、つくづく思つた。たしかに、日出づる国だと思つた。国運を賭しての大戦争のさいちゆうでも、本州の北端の寒村で、このやうに明るい不思議な大宴会が催されて居る。古代の神々の豪放な笑ひと闊達な舞踏をこの本州の僻陬に於いて直接に見聞する思ひであつた。海を越え山を越え、母を捜して三千里歩いて、行き着いた国の果の砂丘の上に、華麗なお神楽が催されてゐたといふやうなお伽噺の主人公に私はなつたやうな気がした。さて、私は、この陽気なお神楽の群集の中から、私の育ての親を捜し出さなければならぬ。わかれてから、もはや三十年近くなるのである。眼の大きい頬ぺたの赤いひとであつた。右か、左の眼蓋の上に、小さい赤いほくろがあつた。私はそれだけしか覚えてゐないのである。逢へば、わかる。その自信はあつたが、この群集の中から捜し出す事は、むづかしいなあ、と私は運動場を見廻してべそをかいた。どうにも、手の下しやうが無いのである。私はただ、運動場のまはりを、うろうろ歩くばかりである。
「越野たけといふひと、どこにゐるか、ご存じぢやありませんか。」私は勇気を出して、ひとりの青年にたづねた。「五十くらゐのひとで、金物屋の越野ですが。」それが私のたけに就いての知識の全部なのだ。
「金物屋の越野。」青年は考へて、「あ、向うのあのへんの小屋にゐたやうな気がするな。」
「さうですか。あのへんですか?」
「さあ、はつきりは、わからない。何だか、見かけたやうな気がするんだが、まあ、捜してごらん。」
 その捜すのが大仕事なのだ。まさか、三十年振りで云々と、青年にきざつたらしく打明け話をするわけにも行かぬ。私は青年にお礼を言ひ、その漠然と指差された方角へ行つてまごまごしてみたが、そんな事でわかる筈は無かつた。たうとう私は、昼食さいちゆうの団欒の掛小屋の中に、ぬつと顔を突き入れ、
「おそれいります。あの、失礼ですが、越野たけ、あの、金物屋の越野さんは、こちらぢやございませんか。」
「ちがひますよ。」ふとつたおかみさんは不機嫌さうに眉をひそめて言ふ。
「さうですか。失礼しました。どこか、この辺で見かけなかつたでせうか。」
「さあ、わかりませんねえ。何せ、おほぜいの人ですから。」
 私は更にま
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