た別の小屋を覗いて聞いた。わからない。更にまた別の小屋。まるで何かに憑かれたみたいに、たけはゐませんか、金物屋のたけはゐませんか、と尋ね歩いて、運動場を二度もまはつたが、わからなかつた。二日酔ひの気味なので、のどがかわいてたまらなくなり、学校の井戸へ行つて水を飲み、それからまた運動場へ引返して、砂の上に腰をおろし、ジヤンパーを脱いで汗を拭き、老若男女の幸福さうな賑はひを、ぼんやり眺めた。この中に、ゐるのだ。たしかに、ゐるのだ。いまごろは、私のこんな苦労も何も知らず、重箱をひろげて子供たちに食べさせてゐるのであらう。いつそ、学校の先生にたのんで、メガホンで「越野たけさん、御面会。」とでも叫んでもらはうかしら、とも思つたが、そんな暴力的な手段は何としてもイヤだつた。そんな大袈裟な悪ふざけみたいな事までして無理に自分の喜びをでつち上げるのはイヤだつた。縁が無いのだ。神様が逢ふなとおつしやつてゐるのだ。帰らう。私は、ジヤンパーを着て立ち上つた。また畦道を伝つて歩き、村へ出た。運動会のすむのは四時頃か。もう四時間、その辺の宿屋で寝ころんで、たけの帰宅を待つてゐたつていいぢやないか。さうも思つたが、その四時間、宿屋の汚い一室でしよんぼり待つてゐるうちに、もう、たけなんかどうでもいいやうな、腹立たしい気持になりやしないだらうか。私は、いまのこの気持のままでたけに逢ひたいのだ。しかし、どうしても逢ふ事が出来ない。つまり、縁が無いのだ。はるばるここまでたづねて来て、すぐそこに、いまゐるといふ事がちやんとわかつてゐながら、逢へずに帰るといふのも、私のこれまでの要領の悪かつた生涯にふさはしい出来事なのかも知れない。私が有頂天で立てた計画は、いつでもこのやうに、かならず、ちぐはぐな結果になるのだ。私には、そんな具合のわるい宿命があるのだ。帰らう。考へてみると、いかに育ての親とはいつても、露骨に言へば使用人だ。女中ぢやないか。お前は、女中の子か。男が、いいとしをして、昔の女中を慕つて、ひとめ逢ひたいだのなんだの、それだからお前はだめだといふのだ。兄たちがお前を、下品なめめしい奴と情無く思ふのも無理がないのだ。お前は兄弟中でも、ひとり違つて、どうしてこんなにだらしなく、きたならしく、いやしいのだらう。しつかりせんかい。私はバスの発着所へ行き、バスの出発する時間を聞いた。一時三十分に中里行きが出る。もう、それつきりで、あとは無いニいふ事であつた。一時三十分のバスで帰る事にきめた。もう三十分くらゐあひだがある。少しおなかもすいて来てゐる。私は発着所の近くの薄暗い宿屋へ這入つて、「大急ぎでひるめしを食べたいのですが。」と言ひ、また内心は、やつぱり未練のやうなものがあつて、もしこの宿が感じがよかつたら、ここで四時頃まで休ませてもらつて、などと考へてもゐたのであるが、断られた。けふは内の者がみな運動会へ行つてゐるので、何も出来ませんと病人らしいおかみさんが、奥の方からちらと顔をのぞかせて冷い返辞をしたのである。いよいよ帰ることにきめて、バスの発着所のベンチに腰をおろし、十分くらゐ休んでまた立ち上り、ぶらぶらその辺を歩いて、それぢやあ、もういちど、たけの留守宅の前まで行つて、ひと知れず今生《こんじやう》のいとま乞ひでもして来ようと苦笑しながら、金物屋の前まで行き、ふと見ると、入口の南京錠がはづれてゐる。さうして戸が二、三寸あいてゐる。天のたすけ! と勇気百倍、グワラリといふ品の悪い形容でも使はなければ間に合はないほど勢ひ込んでガラス戸を押しあげ、
「ごめん下さい、ごめん下さい。」
「はい。」と奥から返事があつて、十四、五の水兵服を着た女の子が顔を出した。私は、その子の顔によつて、たけの顔をはつきり思ひ出した。もはや遠慮をせず、土間の奥のその子のそばまで寄つて行つて、
「金木の津島です。」と名乗つた。
少女は、あ、と言つて笑つた。津島の子供を育てたといふ事を、たけは、自分の子供たちにもかねがね言つて聞かせてゐたのかも知れない。もうそれだけで、私とその少女の間に、一切の他人行儀が無くなつた。ありがたいものだと思つた。私は、たけの子だ。女中の子だつて何だつてかまはない。私は大声で言へる。私は、たけの子だ。兄たちに軽蔑されたつていい。私は、この少女ときやうだいだ。
「ああ、よかつた。」私は思はずさう口走つて、「たけは? まだ、運動会?」
「さう。」少女も私に対しては毫末の警戒も含羞もなく、落ちついて首肯き、「私は腹がいたくて、いま、薬をとりに帰つたの。」気の毒だが、その腹いたが、よかつたのだ。腹いたに感謝だ。この子をつかまへたからには、もう安心。大丈夫たけに逢へる。もう何が何でもこの子に縋つて、離れなけれやいいのだ。
「ずいぶん運動場を捜し廻つたんだが、見つからなかつた。
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