た。帯も、緑色の兵児帯でした。ひどく恥かしく思ひました。叔母が顔色を変へて走つて来ました。私は叔母に可愛がられて育ちました。私は、男ぶりが悪いので、何かと人にからかはれて、ひとりでひがんでゐましたが、叔母だけは、私を、いい男だと言つてくれました。他の人が、私の器量の悪口を言ふと、叔母は、本気に怒りました。みんな、遠い思ひ出になりました。」
 中畑さんのひとり娘のけいちやんと一緒に中畑さんの家を出て、
「僕は岩木川を、ちよつと見たいんだけどな。ここから遠いか。」
 すぐそこだといふ。
「それぢや、連れて行つて。」
 けいちやんの案内で町を五分も歩いたかと思ふと、もう大川である。子供の頃、叔母に連れられて、この河原に何度も来た記憶があるが、もつと町から遠かつたやうに覚えてゐる。子供の足には、これくらゐの道のりでも、ひどく遠く感ぜられたのであらう。それに私は、家の中にばかりゐて、外へ出るのがおつかなくて、外出の時には目まひするほど緊張してゐたものだから、なほさら遠く思はれたのだらう。橋がある。これは、記憶とそんなに違はず、いま見てもやつぱり同じ様に、長い橋だ。
「いぬゐばし、と言つたかしら。」
「ええ、さう。」
「いぬゐ、つて、どんな字だつたかしら。方角の乾《いぬゐ》だつたかな?」
「さあ、さうでせう。」笑つてゐる。
「自信無し、か。どうでもいいや。渡つてみよう。」
 私は片手で欄干を撫でながらゆつくり橋を渡つて行つた。いい景色だ。東京近郊の川では、荒川放水路が一ばん似てゐる。河原一面の緑の草から陽炎がのぼつて、何だか眼がくるめくやうだ。さうして岩木川が、両岸のその緑の草を舐めながら、白く光つて流れてゐる。
「夏には、ここへみんな夕涼みにまゐります。他に行くところもないし。」
 五所川原の人たちは遊び好きだから、それはずいぶん賑はふ事だらうと思つた。
「あれが、こんど出来た招魂堂です。」けいちやんは、川の上流のはうを指差して教へて、「父の自慢の招魂堂。」と笑ひながら小声で言ひ添へた。
 なかなか立派な建築物のやうに見えた。中畑さんは在郷軍人の幹部なのである。この招魂堂改築に就いても、れいの侠気を発揮して大いに奔走したに違ひない。橋を渡りつくしたので、私たちは橋の袂に立つて、しばらく話をした。
「林檎はもう、間伐《かんばつ》といふのか、少しづつ伐つて、伐つたあとに馬鈴薯だか
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